06
26
2010

私の友人が住んでいるアパートの3階の女性が、彼女が住んでる2階から飛び降り自殺しようとしたらしい。おかしな話しである。彼女の旦那さんが、とめたらしいのだが、そもそも彼女は本当に自殺する気持ちなんてあったのかどうか?

去年の冬から問題行動があったらしく、大家さんには3階の住人がなんかおかしい。という話しをしていて、彼女の両親を呼び寄せようとしていたらしいのだが、親は東北から一向に上京する気配もなく、家賃などの滞納はないものの、半年近く放置状態。彼女は26歳ぐらいなので、もちろん大人だ。声優になりたいといっているらしいが、たいして努力をしている訳でもなく、今何か仕事をしている訳でもないらしい。

なんか、釈然としない。夢を追いかけるのはけっこうだが、「やるだけやって駄目なら、普通に働けよ。」ってどうして誰も言ってやらないのだ。向き、不向きは絶対にある。望んだって好きな職業につけない人だって山ほどいる。でも、そんな事に絶望しても意味がない。一生懸命生きていれば、違う形で夢が叶うことだってたくさんあるのだ。投げたら全てが終る。彼女にはそんな現実を許容するだけの力を自分の26年間の中で培ってこなかったのかもしれない。なぜ、もう少し早く気づけなかったのか?そして、いまなお親は自主性を尊重するという、無責任な言葉で子どもを助けようともしないのか?

何かが歪んでいる。

世界中が、影のないコンビニになってしまったような、許容という名の無責任で成り立っているような。行動を起こそうとすればリスクが伴うのは当たり前。

「攻撃は最大の防御である。」

攻めなければ、点数は取れない。何故、闘う事を止めてしまうのだろう?諦められないなら、闘う以外に道はないよ。

どんなに逃げても必ず運命は追いかけてくる。待っていても救いの手なんて伸びてこないよ。身方が欲しいなら自分で探せ。でもその人だって貴方を救ってはくれない。自分を救えるのは自分だけなんではなかろうか。

06
23
2010

現在、リアントくんが来日していて11月からの白雪姫のツアーの稽古にいそしんでおります。
私は彼を稽古場へ連れて行く係りなので、道すがらいろんな話をします。
今日はラマダンの話を聞きました。
彼はイスラム教徒なのですが、今年のラマダンは9月にあるのだそうです。勝手な思い込みで、彼はわりといいかげんなイスラム教徒ではないかと思っていたのですが、敬謙なイスラム教徒のようで、海外にいるときでもラマダンの月は断食するのだそうだ。「でも、君はリハーサルやパフォーマンスもあるし、じっとしてすごすわけにはいかないでしょ?」と聞いてみたが、断食は体の毒素を出して、心を強くするためのものでもあるからやはり1年の間に1ヶ月はやらないとだめなんだという。そして、断食の間は日中は水も飲んではいけないのだそうだ。「え~?できるの?そんなこと?」「体は意外と強いから大丈夫。そして、ラマダンは心を強くするためのものでもあるから、やるとすごく体が強くなるんだよ」と言っていた。

確かにリアントの体は強い。そして、若くしてこんな立派なダンサーになれたのも(彼はオバマ大統領の就任式でもインドネシアからの客として踊っているのである)心身の強さなくしては無理だろう。

普段接していると、ただのやんちゃ坊主にしか見えないが、やはり自分の中の規律を持っている人だと思う。奥さんが日本人ということもあり(また、彼女がものすごくしっかりした大人の女性なのである)リアント甘えすぎ!!と思うこともしばしばあるが、たぶんリアントは彼女をすごく尊敬しているので、きらきら(てきとう)文化の国で育っているにもかかわらず、日本の生活になじんでいる。熱い国の人はとかく時間にルーズで、前回はかなり適当な時間感覚で、気が向いたときにリハーサルに参加するようなところがなきにしもあらずだったが、今回は時間に正確になってきてちゃんとしてきたなあ!という印象。びっくり!!

日本語も大分上手になってきた。(時々、わからないくせにしったかぶったりしてるけど、なんだかかわいいからゆるしちゃう!!)

彼も今年で30歳のはずだ。自分の中に規律を持って生活するって大事だよなあ。と思ったしだいです。

06
18
2010

現在「白雪姫」の稽古をしております。
私は継母の役でなかなかのいじわるっぷりを発揮しております。なれない歌でのどががらがらでちょっとびっくりするようなハスキーな声になってきました。毎日のどあめが欠かせませんが、こんなんで本番までもつのだろうか?とちょっと心配でなりません。

先日よりリアントが練習に加わり、やっと全員そろったという感じです。
やはり全員そろうと、活気がちがいますね。リアントくんは夜になるとリアンティになるらしく両性具有的な色気を発しております。

作品は20分ほどが形になってきました。でも、まだオブジェを使用できていないし、「本当にこんなことできるの?」と少々疑問もわいたりしてまだまだ作品の真髄は見えてきません。

でも私は継母の役をかなり気に入っております。
意外とはまり役なのではないかと勝手に思っています。小池氏の予定では7月12日までに40分は仕上げるそうです。「でっきるっかな~」なんていつも思うのですが、小池の性格上、何が何でも形にすると思われます。

ちょっと練習が楽しくなってきました。毎日おかしなところが筋肉痛になっています。最近ちょっと運動不足?と気になるところではありますが、まあまあ、徐々にね。筋肉は100才でも成長するらしいですからね。

7月13日からはまたまた新作の稽古「swift sweets」が始まります。1年のうちに2本の新作はけっこうきついですね。いや、でも「なせばなる。なさねばならぬ、何事も」ちゅうことで、忙しいことを喜びに変えていきたいと思います。

06
15
2010

今年も開催します!自然と触れ合うことは怖くて、気持ちよくて、ああ生きてる!!って感じを体験できます。「あれ、水ってこんな音を出してるんだ」「闇ってこんなに暗いのだ」「木のにおいとはなんとなまめかしいのだろう」映画や小説では感じられない、自然の本当の姿を体験できます。それは自分自身の体の中の自然と共鳴して、自らも自然の一部なのだと体験できる貴重な時間です。舞台経験の有無は問いません。身体を取り戻すのは全ての人間に必要なことだから。この夏自分の心を体を開放してみませんか?

人里離れた森の中で、世界と動きつづける舞台芸術カンパニー“パパ・タラフマラ”の演出家小池博史と、パパ・タラフマラ舞台芸術研究所(P.A.I.)の講師陣と一緒に、朝から晩まで身体表現を堪能できる、合宿型ワークショップ!日常を離れ、自然あふれる地でからだも心も解放してみましょう。
合宿中は共同生活を送るため参加者同士の絆も深まり、忘れられない思い出となること間違いなし!山登りや、バーベキューも行います。今年の夏をP.A.I.のサマーキャンプで『特別な夏』に。

詳細はこちら→http://pappaws.exblog.jp/
日程: 2010年8月13日~17日(4泊5日)
場所: 長野県伊那市高遠町
(バス停[高遠町文化センター]又はJR東海飯田線[伊那市駅]集合/宿泊施設までの送迎有り)
参加条件:18歳以上 舞台経験の有無は問いません。
料金:47,000円(宿泊費、食費、ワークショップ受講料込み:交通費別)

内容:
◎小池博史 総合表現創作 WS 
◎ストレッチ&心身調律WS
◎ボイス・コンタクトインプロビゼーションWS
● 山登り●バーベキュー●川遊び など(P.A.I.研究生との合同授業有。)

講師:
小池博史(パパ・タラフマラ芸術監督/演出家・脚本家・振付家)
松島誠(パフォーマー・P.A.I.講師)
あらた真生(パパ・タラフマラパフォーマー・P.A.I.講師)

お申し込み方法:下記の申し込みフォーム、又は履歴書送付にてお申し込みください。

下記のお申し込みフォームURLよりお申し込みください。
https://mailform.mface.jp/frms/pai/qowbihtoaawmまたは市販の履歴書に写真を添付し、下記までご郵送ください。
〒165-0026
東京都中野区新井1 - 1 - 5 1F 「森でおどれサマーキャンプ」係

【応募〆切】 2010年8月4 日(水)【必着】
(ただし、参加者が定員に達した時点で応募〆切となります。)

<企画/お問い合わせ> 株式会社サイ
〒165 - 0026 東京都中野区新井1 - 1 - 5 1F tel 03-3385-2066
日程: 2010年8月13日~17日(4泊5日)
場所: 長野県伊那市高遠町
(バス停[高遠町文化センター]又はJR東海飯田線[伊那市駅]集合/宿泊施設までの送迎有り)
参加条件:18歳以上 舞台経験の有無は問いません。
料金:47,000円(宿泊費、食費、ワークショップ受講料込み:交通費別)

06
9
2010

ピナバウシュとブッパダール舞踊団の公演を観に行った。演目は「私と踊って」ビデオで少し観た事があるので、一度観たいと思っていた作品だ。

幕前、1人の男が扉の向こうをドア越しに覗いているシーンからはじまる。ドアの向こうに動く絵画を観ているような。なんだろう?マチスのダンスという絵画をちょっと連想させる。
男と女。ピナの愛の世界である。彼女の作品には愛が散りばめられている。

彼女の作品を観るのは2度目。でも最初に観た「山の上で叫び声が聞こえる」は正直ピンとこなかった。私が幼かったからなのかもしれない。

観ながら、むかしテレビのインタビューで「どうして、ダンサーにハイヒールを履かせるのですか?」という質問に「だって、きれいでしょ」というような事を言っていたのを思い出した。

美意識という言葉に代表されるようなあらゆる美しさが描かれている。善とか悪とかいう事ではない。ただ、そこに存在するという美しさ。

孤独は美しい。
悲しみは美しい。
嫉妬は美しい。
欲求は美しい。
渇望は美しい。
叫びはうつくしい。

どんなネガティブな要素も素直さというフィルターを通すと何か美しいものへと昇華されていくような。舞台だから描ける、不条理な世界。でも、不条理な世界は確実に存在するのである。理屈ではないから。身体を通して生々しい程の現実。決して起こり得ない不条理の世界なのにリアルな現実と心の奥で交わって、気がつくと涙をこぼしていたりする。

このヨーロッパの大陸の感性は日本人の私には到底理解できないものであるように思う。でも、違う表現だからこそ、その違いを通して、より深く心に伝わってくるというものがあるように思う。

心が叫ぶ「私と踊って」日本の現実に住んでいる私には到底できない表現。できないけど、叫びたい気持ちにはかわりがないのだとなんだか勝手に納得した。

06
6
2010

朝の教えが終わり、今日は体力もあるしこのままレッスンにでも行くかー!と経堂から自転車を走らせて、新宿方面に向かっていたところ「損保ジャパン東郷青児美術館」のユトリロ展が目にはいり、何となくレッスンに行くのをやめて美術館にフラフラと足を運んでしまいました。特にユトリロが好きというわけではないし、正直教科書とかそのたぐいの本で少し観た事がある程度の知識しかありませんでしたが、何となく急に足を運びたくなったのです。

ユトリロはパリ生まれのパリ育ち。洗濯女の私生児として生まれ、酒に溺れ、治療のために絵を描きはじめる。才能があったので、絵が売れはじめるがそこに母親と義父(ユトリロより3つ下)が、寄生してくる。2人の金づるなわけである。監禁状態で絵を描き続けて51歳で63歳のリュシーと結婚。またまた、監禁状態で71歳の死まで絵を描き続ける。

何じゃこりゃ?というぐらい孤独で不幸な人生なのだ。と現代に生きる私は思ってしまう。でも、ユトリロは多分ゴッホやフロリダカーロのように気が狂ったりはしていなかったのだと思う。ひたすら孤独に耐え、理想の母親。(ジャンヌダルクやマリア様?)に思いを馳せ、ひたすら自分の理想の家族(彼の絵は風景画。街並みというよりは家と二人組のカップルと1人の誰か)という構成が殆どだ。晩年は閉じ込められた中で写真や自分の昔の絵を、みながら描いたというからひたすら心の風景を描いたのではないかと、勝手に想像した。構図や手法などには、全く変化が観てとれなかった。ずっと孤独の風景の中で誰とも心交わる事なく生涯を終えたのだ。

なんちゅう孤独の画家。

とはいえ、絵の才能があったから、本人の無意識のところで社会と繋がっていられたし、こうして現代にもその功績を残しているけれども、なんの才能もなく飲んだくれて、誰とも交わる事なく社会から忘れられていく人って多分たくさんいるんだろうなあと新宿の中央公園の近くのcafeで、ポツンと考えた。

06
5
2010

昨日研究生の子から芸名をつけたいとの申し入れがあり、事務局のしょうこちゃんとインターネットで姓名判断をやっていた。けっきょくその子の芸名は「まつり」ということになったのだが、以外とこの名前。姓名判断上画数がいい。(まあ、めでたそうな名前だし画数良くても不思議ではないが)

苗字をちょっと変えたり、ひらがなにするかかたかなにするか、漢字にするかで簡単によくなったり悪くなったりする。でも、これってどこまで信憑性あるんだろう?と考えたりもする。もちろん「私の名前はいい!!」と思っているほうが、気分もいいし、行動力も増しそうな気がする。でも、根本的性格がだからといって変わるわけでもないしなあ。と信じないわけではないが、???マークは浮かぶ。

ところで、私の白井さち子ですが、実はさち子には小難しい漢字の名前がある。
ですが、この名前かなりくせもので、強運の名前には違いないのだが、逆境を糧に成長していく名前で大物になる可能性を多大に秘めているのだが、波乱万丈の人生を送る名前なのだ。まあ、逆転ホームランが打てるか打てないかという、事の勝敗が最後までわからないという名前なのだ。通常男の子に用いる漢字で、女の子にこの名前をつけると、あまりの苦難に耐えられず、つぶれてしまうかもしれないので、なるべく用いないほうがよいとされている。まあ、そんな意味もあり、さちをひらがなにしたという経緯がある。(あと、単純に普通ではさち子と読めないので、読めない名前が芸名ではよくないという小池氏の判断もあった)

ひらがなにすると、総体運はそのまま、波乱万丈だけ免れられる。

しかしである。この名前のせいなのか、なかなか人が体験できないような運命にかなり遭遇させていただいた。常に逆境が襲ってくる。次から次へと襲ってくるとそれが私の日常になってくる。私にふってこなくてもいいのに、なぜか投げた石に当たるように私に振ってくる。「よっしゃーきたぞ!」という気持ちにでもならんとやっておられんという事実もある。かなり強くなった。それと同時に降り注ぐ運命にたんたんと立ち向かうこともできるようになってきた。(運命の流れに逆らっても、とうていかなうものではないということを悟ったのかもしれない)だけど、時々疲れる。すべてを投げ出したい気持ちにもなる。

「あ~!名前かえるぐらいで、運命変わるなら名前かえて~」

そんなことを叫んでも、過去も現在も変わらない。現在を生きなければ、未来はない。現在を見ずして未来を考えるのはおろかなことであるという気が私はする。現在を見ないで明るい未来を想像する、めでたい人も世の中にはいる。「今を懸命に生きるしかないでしょう。だって、振ってくるときは振ってくるんだから」と考えている私には、彼らの考えはあまり受け入れられない。そんなわけで、ただいま逆境と格闘中。半分は自分でかたづけて、残りの半分は時間に解決してもらおうと思っている。

06
3
2010

昨日、高校生になってなにかと休みがちになっていたYちゃんんが久しぶりにレッスンに来ました。元気そうな笑顔を見れて私もうれしいなあと思いました。
久しぶりにきたYちゃんはもう高校3年生で来年は大学受験なのだそうだ。私の記憶では5年生だったころのYちゃんが一番印象的で、なんだか記憶がそこで止まっているのだが、確かにしっかりとしたお嬢さんに成長している。

みんな小学生で同じようにバレエをやってきたけれど、みんなそれぞれに進む道は変わってきた。当たり前のことなのだけれど、「ああ、人ってこうやって成長していくんだ」という姿を目の当たりにすると当たり前と思っていたことがらに骨格や肉付けがなされて、よりリアリティのある現実として捕らえることができる。中にはバレエをすっかりやめてしまった子もいる。その子たちの話は今は風の便りで知る以外に知る術はない。そして、趣味でやろうと決めた子も休んだりしながらも何とか継続している子もいる。

継続は力なり

もちろんダンスの技術そのものは継続して回数こなしてやっている子には到底かなわない。でも、その間も彼女なりに学校生活やなんやかんやで確実に中身は大人になっている。学校でダンス部の部長をやったりと責任ある立場にも立ち、率先してやっているであろう様子はその立ち姿からもうかがえる。ああ、人っていろんなところで成長してそれを踊りにあらわすことができるんだ。としみじみ思った次第。どんな形であっても継続すること。これはいろんな意味で力を与えてくれるものなのだと感じ入った夜でした。